長福寺の方丈記

2019年12月アーカイブ

本年を振り返って

年の瀬を迎え、残りあと1日となりました。

平成の時代が4月いっぱいで終焉を迎え、5月より令和の時代がスタート致しました。

今年は各地で台風など自然災害に見舞われた1年となりました。

各所で災害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げあげます。

当山では台風15号、19号と境内地や各伽藍で被害に見舞われ、まだ改修工事が出来上がっていない場所もあり、ひきつづき来年の工事となります。

また、当山では様々な行事が行われた1年でもありました。

まずは5月には弟子である長男の仏前結婚式、10月には大本山總持寺御征忌におきまして焼香師を務めるご縁を頂き団体参拝をいたしました。

11月18日には先代当山二十九世であり、私の師匠である中興性海越龍大和尚が突然、遷化致しました。いつもと変わらない平穏な日常の中、昼下がりの陽光な日差しの中眠るような大往生でありました。そして、師匠の本葬儀法要を12月15日、16日と厳修し法縁のある各御寺院様、お檀家様等多数の皆様にご弔慰並びに御焼香を賜りました。長福寺一同心より深く御礼申し上げます。

振りかえれば二十九年の師弟関係でありその間に様々な教えを頂きました。

仏法はもちろんの事、物事に真摯に向き合う姿勢は常に私の人生の指針であり、その表裏のない性格は私の目標とするところでもあります。

師匠の遺徳を受継ぎ、当山の法灯をお守りし、さらに一層の精進を致すことが師匠への恩返しと考えております。

年末にあたりこの一年間の皆様とのご法縁に御礼を申し上げると共に来年が良き一年になることを御祈願致したいとおもいます。        

                                            合掌

12月15日、16日の當山二十九世中興性海越龍大和尚儀 東堂鈴木田越龍の

通夜・本葬儀に際しましては 法縁のある御寺院様、大勢の檀信徒の皆様 さらにはご縁のある皆様方に多数、御会葬・御焼香いただき且つ御鄭重なる御弔慰を賜り心より深く御礼申し上げます。

両日にわたり厳修されました當山二十九世中興性海越龍大和尚の通夜・本葬儀の模様をお知らせいたします。

 

久松山長福寺二十九世中興性海越龍大和尚経歴

昭和4年1月1日誕生 二十八世榮嶽青楓大和尚の孫

昭和16年4月15日 横浜市港北区岸根町の貴雲寺住職について得度

昭和16年4月 世田谷学園中学・高校に入学
昭和20年4月 駒澤大学仏教学部入学
昭和24年3月 駒沢大学仏教学部卒業
昭和24年4月より 横浜市立中学の教諭として定年までの四十年間勤め上げる
昭和33年9月10日 長福寺二十九世住職に就任。以降長福寺の護寺並びに興隆に尽力する。総代をはじめとする檀信徒の総意を受け、境内地や伽藍の整備を自らの生涯の課題とする。今日まで残る長福寺の境内地を整備していく昭和40年 藁葺だった旧本堂の屋根を瓦葺にする昭和40年代半ばから 第一次墓地整備を開始する昭和48年 旧客殿・庫裡を総檜造で新築する

平成3年3月 現在住職である慧海浩之を弟子とする。この頃から第二次墓地整備を本格化する
平成4年 この開発事業最大の目標である現在の本堂はじめ諸堂伽藍の整備に全精力を傾け、約4年の年月を経て平成9年に完成、以降も現在伽藍の維持発展に心血を注ぐ

平成9年5月16日 寺門の興隆、檀信徒への布教活動、墓地・伽藍整備の功績が認められ御本寺住職で兄弟子でもある禅海秀宏大和尚から長福寺中興の称号が与えられる

平成9年5月17日 晋山結制・落慶法要を厳修
平成10年2月5日 権大教師補任
平成10年4月8日 黄恩衣被着
平成10年4月17日 大本山總持寺報恩大授戒会焼香師を務める
平成11年4月15日 大本山總持寺地方副監院を命ぜられる
平成12年 都筑区仏教会副会長就任
平成14年10月15日 大雄山最乗寺両院忌焼香師を務める
平成19年7月 実孫の二人が得度し、法孫、天海祥悟・秀海慶悟となる
平成23年10月1日 長年の功績を称え、住職勤続五十有余年表彰を受ける
平成24年7月 長福寺住職を退董。以降東堂として穏やかな日々を過ごす。弟子である現住職の晋山結制法要、總持寺御征忌焼香師拝命、法孫の結婚などを一切の病に伏せることなく、常に笑顔で見守る

令和元年11月18日 示寂。世壽九十年。大和尚の人生に相応しい大往生であった。

 

東堂の遺掲

遺偈とは、禅僧が末期に臨んで後世への教訓を記した言葉です。

 

 

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解説

「一滴一凍」とは、冬の日に雫が滴り一瞬で凍る様から、間もない時間や一瞬の事柄、そこから転じて一瞬一瞬を大切に生き切るといった意味がございます。
「一滴一凍九十余年」とは、一瞬一瞬を大切に九十年余りを生きてきたという意味になります。
「末期無句」とは文字が表す通り、正伝の仏法も弟子に受け継がれ、何も言うことはないと、満足や充実感が表れている一節となります。
「青山月隠」は、我が世を振り返れば久松の山々は青くそびえ、見上げれば月は穏やかに浮かんでいるという情景を表します。
総じて、「一瞬一瞬を大切に、九十年余りを生きてきた。末期に当たって言うことはない。こんなにも山は青く、月は穏やかなのだから」という遺偈になります。
まさに長福寺中興の祖である性海越龍大和尚の人生を表す遺偈となっております。

 

両日の様子

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本葬儀から半月たち、師匠のことを、今、ようやくここに綴れる心境に至りました。それほど、私達家族にとりましても、あまりにも突然すぎるお別れでした。

師匠は亡くなる当日の昼過ぎまで家族といつも通り元気に過ごしておりまして、その後、お気に入りのソファで正に眠るように旅立ちの時を迎えました。家族にとりましては突然のお別れではございましたが、今思えば、師匠が常日頃「なるべく誰かのお世話になることなく逝きたいな」と申しておった、師匠自身が望んだとおりの大往生だったと思います。

師匠は昭和四年元旦に当山二十八世榮嶽青楓大和尚の孫として生を受けました。世田谷学園中学・高校、駒澤大学仏教学部へと進学・そして卒業後は長福寺二十九世に就任する傍ら横浜市立中学の教員としても定年まで教壇にたち続けました。その間、幾度となく境内の拡張、伽藍整備に尽力してまいりました。教員生活を終えたのち、平成四年からは、開発事業最大の目標である、この本堂をはじめ・客殿・庫裡等諸堂伽藍整備に全精力を傾け、約四年の年月を経て平成九年に完成、宿願を達成致しました。

私は平成三年三月に師匠に弟子入りし、約二十九年間、大変お世話になりました。仏法の世界のこと、人としてあるべき姿など、大変誠実でどんなことにも真摯に取り組む師匠の姿は人生のお手本でございまして、朝晩のお努めの時になど大きな声の師匠とよく語りあっておりました。宇宙の神秘に大変興味があり、自然をこよなく愛し、クラシック音楽が大好きで、そして笑顔がとっても素敵だった父との突然の別れは大変寂しく、もっと語り合いたかった、教えを受けたかったという気持ちでいっぱいです。

しかしながら、約七年半前に住職を退董してからも、師匠は東堂として、長福寺の護持・発展を願い、檀信徒の皆さん、たくさんの教え子、家族、親戚、縁者の皆さんの幸せを心より願っておったその姿を忘れることなく、その姿勢を見習って長福寺山内・家族一同精進して参る所存でおります。

師匠が生前に賜りましたご厚情に改めて長福寺一同心より深く御礼申し上げます  合掌

 

 

 

 

 

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