長福寺の概要

久松山 長福寺は、天正3年(1575年)5月、自山純応大和尚によって開山された曹洞宗の寺院です。

宗派曹洞宗(そうとうしゅう)
両大本山越前(福井)の永平寺(高祖承陽大師【道元(どうげん)禅師さま】ご創立)
鶴見(横浜)の總持寺(太祖常済大師【瑩山(けいざん)禅師さま】ご創立)
山号久松山(きゅうしょうさん)
寺号長福寺(ちょうふくじ)
開山天正3年(1575年)5月 自山純応大和尚による
御本尊釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
本尊唱名南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
所在地〒224-0041 神奈川県横浜市都筑区仲町台4-8-10
参拝時間午前8時~午後5時(冬季11月から2月は、午後4時半まで)
連絡先電話:045-942-7844
FAX:045-941-7130

曹洞宗について

曹洞宗は、釈迦牟尼仏より代々の祖師がたが受継がれてきた直系の仏法であります。

【曹洞宗の伝来】

今から800年ほど前に道元禅師さまがその教えを日本に伝え開宗し、4代目の瑩山禅師さまが日本に広められました。
このお二方は宗門の父母に当たる方で、それぞれご創立された永平寺と總持寺を両本山としています。また、曹洞宗は、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」の定めがあります。
一仏とは、本尊釈迦牟尼仏であり、両祖とは、高祖承陽大師道元禅師さまと太祖常済大師瑩山禅師さまです。

【曹洞宗の教義】

私たちは、誰でも生まれながらに仏心をもっています。しかしそれに気づかずに、わがままで勝手な生活を繰り返していることが悩み苦しみのもとになっています。
私たちは、反省し懺悔してお釈迦さまのみ教え、両祖さまのお悟しにみちびかれ自身本来の正しい姿に目覚めなければなりません。
仏様に帰依して心が落ち着くと、自ずから生活が調えられて人生が明るくなり社会のお役に立つことを喜びどんな苦難にも耐えていこうとする信念が強まります。
そこに生甲斐と幸福とを発見するのがわが曹洞宗の教義であります。

曹洞宗について、詳しくは 曹洞宗の宗旨・教義(曹洞禅ネット)をご覧ください。

坐禅・只管打坐

曹洞宗は坐禅によってお釈迦様の心をいただきます。お悟りをひらくことは、頭で理解することではなく、体と心で受け止めることです。
そのために「只管打坐(しかんたざ)」【ただひたすらにざぜんする】をすすめるのです。
坐禅はお釈迦さまが「お悟り」を開かれた時の最高のお姿なので、私達がそれをそのまま実践することが「お悟り」そのものになるのです。

長福寺の歴史・縁起

長福寺は、「新編武蔵風土記稿」には、

「本社(熊野社)に向いて右にあり、禅宗曹洞派…久松山と称す…本尊釈迦木の坐像長一尺二寸許…」

とあり、末社に毘沙門堂、稲荷社を記載しています。

開山は、天正3年5月(1575年)鶴見区の下末吉宝泉寺4世自山純応大和尚。 大和尚は、今川氏の末流入野三郎助で父の命により11歳の時、能登国總持寺に入り出家し、得度後宝泉寺3世、林翁聚雙の法孫となり、後長福寺の開山となりました。

その後長福寺は、安政元年(1854年)火災のため堂守全焼、文久4年(1864年)には再建しています。

大正時代の「都田村大熊 長福寺託児所」
▲大正時代の「都田村大熊 長福寺託児所」
昭和10年頃の長福寺
▲昭和10年頃の長福寺

現在の諸堂伽藍は、平成5年(1993年)より開始された墓地再開発に伴い、檀信徒総意の元、約4年の年月を経て平成9年(1997年)に完成いたしました。

昭和39年から平成4年の長福寺本堂(昭和40年に本堂瓦葺きになる)
▲昭和39年から平成4年の長福寺本堂(昭和40年に本堂瓦葺きになる)
長福寺 本堂
▲現在の長福寺本堂

長福寺と熊野社

久松山長福寺の成立は、境内にある熊野社の別当寺としてでした。

熊野社は、現在は長福寺の境内社となっていますが、江戸時代までは独立した神社で、長福寺は、その経営管理を任されていたことになります。
江戸後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によりますと、この熊野社は、平将門が願を懸けたという伝説があるといいます。

「熊野社は『本地仏弥陀木の立像長四寸許』を祀り、縁記によるに、当社は承平年中(931~938年)平将門宿願によりて、不思議の霊夢を蒙り、この社に七日参篭せる夜、コケラ(※草冠に冊)不動閻浮檀金(えんぶだごん)の観音を授かり、それより将門威勢盛んになりとぞ、その後天文年中(1532~1555年)に至り橘樹郡篠原村の城主師岡越前の守伽藍を再興せし、が戦国の折なれば次に修理を加える者なく自ら破損せり」

と記されていますが、江戸時代には、社領玉石除の御朱印を受けています。 その後、明治42年(1909年)村社大熊杉山神社に村内数社とともに合祀されました。

しかし、御神体は、合祀後も長福寺に残り本堂の本尊横に安置され、熊野権現として祀られ続けていました。昭和9年(1934年)に28世青楓大和尚が社を再建し本堂から御神体を遷しましたが、昭和55年(1980年)に修理が施され、平成5年(1993年)諸堂伽藍の建設に伴い解体、平成8年(1996年)に現在の社に新築されました。

再建された熊野社(左は水子地蔵尊)
▲再建された熊野社(左は水子地蔵尊)
熊野社 内陣
▲熊野社 内陣