長福寺の方丈記

坐禅会 「無」の感覚

今日は、午後から今年初めての坐禅会が開かれました。

毎回ご参加される皆様に、初参加の方も加わり人数が多くなりましたので坐禅の部屋を二つに分けて行いました。

今年も多くの方のご参加、そして、ぜひ、一回だけではなく、続けて参加していただけたらと思います。

 

前にも述べましたが、長福寺坐禅会での坐禅は、私達僧侶や修行僧が行う坐禅とは少し意味合いが違ってよいと思っています。

大切なのは、坐禅をする、その一時を大事にする心にあると考えます。

 

最近、思い出したことがあります。

私の弟子である長男が中学生だった頃、夏休みの間、毎日朝晩真剣に坐禅に取り組みました。

夏休みも終わりに近づいた頃、親子で鶴見の大本山総持寺に伺うことがあり、

その時に坐禅堂で坐禅を組ましていただき次のような体験をしたそうです。

当時の彼の作文によると

ほんの一瞬であるが無意識になれた瞬間があった。

まるでエアポケットにでも吸い込まれたようなあの感覚は何かのイメージではなく

自分が初めて経験した「無」という感覚のほんの入り口だったのではないかと思う。

中学生の彼が夏休みの間、一生懸命坐禅に取り組んだ結果、このような境地にいたることができた、その時の様子をよく表しているとその当時も思いました。

 

坐禅に取り組むその姿勢、その一時をたいせつに今年も坐禅に取り組んで参りましょう。


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